熊本豪雨災害に関する情報まとめ

被害状況

人的被害死亡/65人(人吉市20、球磨村25、芦北町11、津奈木町3、八代市4、山鹿市2) 
行方不明/2人 (芦北町1、八代市1)
住家被害全壊/1490棟  半壊/3092棟 
床上浸水/329棟 床下浸水/561棟
一部損壊/1940棟 
避難0名
仮設住宅建設型 760戸(1851人) 
借り上げ型みなし 780戸(1862名)
公営住宅など 251戸(502人)
1/26 県発表などを基に集計

概要/被災直後写真

梅雨前線に沿って発達した線状降水帯の影響で、県南の球磨川流域を襲った記録的な豪雨は、古里を潤す清流が「暴れ川」の牙をむき各地で氾濫。降り続く雨は県北にも被害を広げ、浸水や土砂崩れによりこれまでに65人が死亡、2人が行方不明となった。

球磨川の氾濫は13ヶ所、浸水範囲は計1060㌶に及び、人吉市中心部の浸水は最大4.3mに達した。濁流に襲われた球磨村の特別養護老人ホーム「千寿園」で入所者14人が亡くなるなど、死者の大半を高齢者が占める。

気象庁は4日未明に県内初の「大雨特別警報」を16市町村に発表、最高レベルの警戒を呼びかけた。避難指示より強い警戒を求める「災害発生情報」を出した自治体もあったが、極めて短時間に激しい雨が降り、避難する間もなく亡くなった人が少なくなかったとみられる。

球磨川氾濫時の人吉市内
球磨川氾濫時の人吉市内
氾濫直後くま川鉄道

川辺ダム計画に関する議論

11/20付 川辺川に流水型ダム 「撤回」から12年蒲島知事方針転換

蒲島郁夫知事は19日、7月豪雨で氾濫した球磨川の治水対策の柱として、支流の川辺川に新たな流水型(穴あき)ダムを建設するよう国土交通省に求めると正式表明した。2008年に川辺川ダム建設を「白紙撤回」して以降、「ダムによらない治水」を追求してきた方針を180度転換した。流域住民の間でダムへの賛否が大きく割れる中、川辺川で国のダム事業が再び動き出す見通しとなった。知事は20日、赤羽一嘉国土交通相に要請する。

・現在の民意は、命と環境を守ることの両立。全ての流域住民に共通する「心からの願い」を成し遂げる
・特定多目的ダム法に基づく現行の川辺川ダム計画の廃止を求める
・「緑の流域地治水」の一つとして、新たな流水型ダムを求める
・ダムができるまでの間、支流を含む河川掘削や遊水地整備など今すぐ行う対策を徹底
知事表明のポイント

◎流水型ダムとは

普段は川底付近のダム本体に設けた穴から水が流れ、洪水時だけ水をためる。本格的な国内初の流水型ダムとされる島根県営益田川ダムは、2006年に運用を開始した。国土交通省が、白川上流で建設中の立野ダム(南阿蘇村、大津町)も流水型。現行の川辺川ダム計画を流水型に変更すれば、国内最大規模となる。国が08年8月に県に示した試算では、貯留型と比べて完成までの期間は1年早まり9年後とした。

2020.11.20 熊日朝刊

◎川辺川ダム計画

建設省(現国交省)が1966年、球磨川流域の洪水防止を目的に発表。その後、国営の農業利水と発電が加わり、総貯水量1億300万立方㍍の九州最大規模の多目的ダム計画になった。住民の賛否が割れる中、2007年に利水と発電が計画から撤退。蒲島郁夫知事の白紙撤回に続き、09年に当時の前原誠司国交相が中止を表明したが、現在まで特定多目的ダム法に基づく廃止手続きは取られていない。

2020.7.24 熊日朝刊

◎川辺川ダムのおさらい

民意」どう問うべきか

10/29熊日紙面から

12年前の2008年川辺川ダムの白紙撤回を表明した蒲島知事。当時、その理由を「現在の民意はダムによらない治水を追求し、今ある球磨川を守っていくことを選択している」と述べた。

そして現在、県は改めて川辺川ダムを選択肢に含めた上で、球磨川の新たな治水方針を取りまとめるという。蒲島知事は「民意を問うことになる」と表明した。

民意をめぐっては8月の「くまもと復旧・復興有識者会議」で、東京大大学院の谷口将紀教授がこう提言した、「あらゆる情報を十分に吟味した上で住民はどう判断するか。少なくとも科学的で中立的な世論調査、できれば住民投票なり討論型世論調査なりで民意を見極めて」

重要政策の民意を探る手法として、近年注目されるのが討論型世論調査。1回限りの意見を調べるだけでなく、調査対象者に十分な資料や情報を提供、討論を重ねた後に再調査し、意見や態度の変化を見る。

川辺川ダムにように複雑な経緯を持つ問題で、民意を見極めるのはそう簡単ではない。県南だけでも数十万人の意見は多様である。有識者会議がまとめた提言は、民意の見極めについて具体的な方法には触れられていなかった。

08年当時はどのように「民意」を判断したのか

今と決定的に異なるのは、潮谷義子前知事の時代、01年から約9回にわたり開かれた「川辺川ダムを考える住民討論集会」の存在だ。

01年12月、相良村であった初回には約3000人が参加。ダム事業を推進する国土交通省と、反対派の研究者や住民らが約7時間激論を交わした。

9回の開催中、議論は最後まで平行線だった。しかし、集会の参加や報道を通じ、住民に多くの資料と情報が提供されたことは間違いない。

「08年までは対話形式の議論があった。今、一番違うのは、流域の意見聴取が帳消しのように進んでいる点だ」と「子守歌の里・五木を育む清流川辺川を守る会」の中島康代表。

検証委委員会も、議論の主体は国、県と流域市町村のみ。市民団体が同じテーブルにつく機会はなくなった。県は10月13日、流域住民や団体の意見聴取の会を翌日から始めると発表。矢継ぎ早に日程が追加され、計20回を超える。

「民意」は急ぎ足で吸いあげられていくのだろうか。

▽11/11付け 再興~あなたに聞きたい:足立敏之参院議員

国土交通省は2007年5月川辺川ダムの建設を前提に球磨川水系の「河川整備基本方針」を策定した。その後、川辺川ダム建設は中止されたが、7月の豪雨を契機に建設の是非をめぐる議論が再燃した。基本方針策定時の国交省の担当者だった自民党の足立敏之参院議員に、今回の被害の受け止めやダム建設の是非を聞いた。

ー国交省の河川計画課長としてダムを前提に球磨川水系の基本方針を策定されました。

「川辺川ダムの水位低下効果で下流の洪水を軽減する考えだった。災害後、人吉市や球磨村、芦北町、八代市坂本町に入ったが、近年の水害でも特に激烈な被害だった。基本方針どうりに進めていれば、これだけの犠牲はなかったのではないかと思うと、自責の念を強く感じる」

ー蒲島郁夫知事が08年9月にダム建設を白紙撤回した後、国交省も一緒に「ダムによらない治水」を検討してきました。

「当時も今も、私は球磨川流域の治水にはダムが不可欠だと思っている。ダムによらない治水策をいろいろ検討してもらったが、その手法は残念ながら現実的ではなかった」

ー国交省は12年間、「現実的ではない」対策を積み上げてきたのですか?

「批判は指摘の通りだが、治水は科学的に整理すべき問題だ。球磨川流域は本流と支流・川辺川が人吉で合流し、大きな被害が出やすい地形。そのため、本流と支流の出水のタイミングを調整する必要がある。流域特性からダムが科学的に合理性のある計画だった」

ー河川管理者である国の責任を問う声があります。

「川辺川ダムは09年、民主党政権の前原誠司国交相が計画中止を発表した。一方、同時に中止とされた八ツ場ダム(群馬県)は流域首長の反対で着工に転じ、昨年の台風19号では利根川の治水安全度を高める役割を果たした。川辺川ダムは全国的なダム反対の高まりを受け、科学的な問題が政治的な問題にすり替わってしまった」

ー国交省は、川辺川ダムがあれば人吉市の浸水面積が6割減少するとの推定を示しました。「ダムの効果を強要しすぎだ」との声もあります。

「国交省が導いた数値は、洪水の痕跡なども加味して解析した妥当なものだ。科学的なデータを自分のイメージと違うから批判するという姿勢では過ちを繰り返す。受け止めてもらいたい」

ー国交省、県、流域市町村は球磨川でも「流域治水」を進める方針ですが、具体的なイメージは?

「ダムや堤防整備によらず、治水が達成できると考えるのは誤解。地球温暖化で近年、雨の降り方が激しくなっており、できるかぎりの対策をとるべきだ。川辺川ダムをつくり、本流の市房ダムも洪水調整量を増やす方向で改造が必要。さらに遊水地などの方策、ソフト対策と組み合わせてベストな計画を検討し、全国のモデルにしてほしい」

▽8/26付 人吉ピーク流量毎秒8000㌧

国土交通省は25日、7月豪雨で氾濫した球磨川のピーク流量について、人吉市で毎秒8千㌧程度となる推計(速報値)を公表した。球磨川で戦後最大だった1965年7月洪水の5700㌧を大きく上回った。建設が中止された川辺川ダムがあったと仮定した場合、流量は4700㌧程度に抑えられたとする推計も明らかにした。

▽9/10付 球磨川「流域治水」検討を

7月の豪雨で氾濫した球磨川の治水対策について、九州大学院の島谷幸宏教授(河川工学)が9日、「流域全体で水害の危険性を減らす『流域治水』の検討をするべきだ」とする意見書を、国土交通省と県、流域市町村でつくる球磨川豪雨検証委員会に提出した。

流域治水は堤防やダムだけに頼らず、貯水池の整備や危険性の高い土地の利用規制などを総動員する考え方。豪雨時の球磨川の流量を減らすために、支流沿いの田畑などを遊水池として活用し、本流への流入量を減らすなど、流域全体で水害リスクを抑制するよう求めている。上中流域の川幅の拡幅や、甚大な被害が出た右岸の人吉市街地のかさ上げなども提言した。

島谷教授は「流域治水は環境に優しく、持続可能な地域づくりにつながる。検証委には川辺川ダムがあった場合の効果だけでなく、幅広い治水対策を議論してほしい」と話している。

▽9/24付 治水検証被災者参加を

川辺川ダムに反対する3つの市民団体は23日、7月の豪雨災害を受けて、県が球磨川治水の方針を示す前に、多様な視点からの検証と、被災者も参加できる意見交換会の開催を求める蒲島知事ら宛ての要望書を県に提出した。

「子守歌の里・五木を育む清流川辺川を守る県民の会」(熊本市)、「清流球磨川・川辺川に未来に手渡す流域郡市民の会」(人吉市)、「美しい球磨川を守る市民の会」(八代市)の3団体。3団体は、国と県、流域12市町村が進める現在の検証では「被災者が置いてけぼりになっている」と主張。また、川辺川ダムが「治水に最も有効」とする国土交通省主体の検証では「中立性、公平性が保たれない」として、異なる視点の専門家や市民グループの検証参加を求めた。

追記:2回で終了した球磨川豪雨検証委員会に対し、川辺川ダムに反対する上記の3団体が「ダムありきの検討内容は被災者や住民の実感とも、多くの研究者の意見とも違う」として、検証のやり直しを求める公開質問状を提出した。

▽10/7付 川辺川ダム 浸水6割減

7月豪雨の検証委員会が6日、県庁であり、国土交通省は建設が中止された川辺川ダムが存在した場合、人吉市の浸水面積は約6割減少し、浸水の深さが3メートルを超える面積は約9割減少するとの推定結果を公表した。その場合のピーク流量は毎秒4800㌧に達し、安全に河川に流せる流量(同4千㌧)を超えるため「現行のダム計画だけではすべての被害を防げない」とも結論付けた。

この結果に基づき、水位低減効果を推計。人吉市の市街地で約1.9m、球磨村渡で約3.7m、八代市横石で約1.4mの水位が下がるとした。

▽球磨川流域12市町村の治水に関する考え

八代市中村博生市長市民の命を守るためにダムが必要だが、地元の合意形成、他の治水策との組み合わせが不可欠
人吉市松岡隼人市長治水安全性を高めるため、やれることはすべてやることが重要。住民が安心する方向性を早急に検討すべきだ
芦北町竹崎一成町長川辺川ダムは必要。人命最優先で判断。ただし環境負荷を考慮し、五木村や相良村の振興策を講じる必要あり
錦町森本完一町長科学的データで川辺川ダムの必要性が立証された。ダムを柱に他の治水対策を組み合わせる必要もある
あさぎり町尾鷹一範町長この場で言えることはない。民意については慎重に判断したい。首長同士の議論もこれからだ
多良木町吉瀬浩一郎町長特に下流域でのダムの効果はわかった。河川掘削や樹木伐採の効果も証明されたので、さらに進めてほしい
湯前町長谷和人町長川辺川ダムの効果は理解できる。他の治水策との組み合わせや、より効果的な構造への見直しも求める
水上村中獄弘継村長川辺川ダムは必要。条件は流域12市町村の合意
相良村吉松啓一村長被災した村民は、ダムが必要かどうか判断できる状況にない。あくまで知事が決断すること
五木村木下丈二村長川辺川ダムが必要かそうでないかは、流域のみなさんの判断に任せたい
山江村内山慶治村長川辺川ダムだけでは被害は防げず、球磨川支流の治山対策を長期的に実施することが将来への防災につながる
球磨村松谷浩一川辺川ダムは必要。ダムによらない治水策をはじめ、流域治水も同時に進めてもらいたい

▽10/16 川辺川ダム民意を問う

蒲島知事は15日、球磨川流域の治水対策について、被災地の住民や団体から意見を聴く会を人吉市で始めた。初回は農協や漁港などの8団体が出席。県は今回を皮切りに11月中旬まで20回開く予定。流域住民の民意を把握し、治水対策に反映することを目的としている。

◎以下各団体の意見

JAくま被災農家から今の場所に住みたくないという声を聞く。ダムを建設し、安心して生活できる環境を整備してほしい
県たばこ耕作組合ダム建設は賛成。「ダムによらない治水対策」としてこれまで検討してきた農地を使った遊水池については「農家は到底受け入れられない」と批判。
球磨地方森林組合「ダムや遊水地は多くの人に迷惑がかかる」として、「ダムによらない治水対策」の一つである八代海などにトンネルを流す案を勧める。
球磨川漁協「漁協は直接関わるのでこの場で治水対策には触れない。組合員と協議して選択したい」とダム建設の賛否を明らかにしなかった。

▽11/4「民意動いている」球磨川治水意見聴取で知事

蒲島知事は4日の定例会見で、7月豪雨災害後に県などが検討している球磨川流域の治水に関し、自身が支流の川辺川ダム計画を白紙撤回した2008年当時と比べ「民意が大きく動いている」と述べた。

県は3日までに流域市町村を中心に住民計324人や関係87団体から意見を聴いた。蒲島知事は「(08年)当時は流域のほとんどがダム反対で統一されていたが、今回は賛否が割れている。多様な意見の中心部分を見極め、考え抜いて方向性を示す」とした。

一方、意見聴取を通じて「(住民の)球磨川への愛情は共通していた」と感想を述べ、「人命、財産を守ると同時に球磨川の環境や清流を守る事が大事だ。難しいが、両立させる対策を検討する」とした。

本流の県営市房ダム(多目的ダム、水上村)については、災害に備えた事前放流をしやすくするため、その後に利水用の貯水量が回復しなかった場合、農家に何かしらの補填策を検討していることも明らかにした。

▽11/13 社説「川辺川ダム容認」

民意は見極められたのか

7月豪雨で氾濫した球磨川の治水対策の方向性について、蒲島郁夫知事は川辺川ダムの建設容認を含めた「流域治水」を最有力候補として調整していることが明らかになった。

環境への負荷を低減できるとの判断から、ダム構造は穴あきダムを含む流水型を想定してるという。

川辺川ダムを巡っては、知事が2008年、計画の白紙撤回を表明。翌年、国土交通省が建設中止を決めた。知事が容認へのかじを切れば、ダムに対する考え方の抜本的な転換となる。

知事は白紙撤回時、「現在の民意はダムによらない治水を追求し、球磨川を守っていくことを選択している」と述べた。判断の根拠として協調したのは「民意」だった。

7月豪雨後も、知事は「民意を測る」として流域住民や関係団体への意見聴取を重ねてきた。しかし、ダム建設に対する住民の賛否は分かれている。環境面だけではなく、治水効果への疑問や安全性への不安も根強い。

川辺川ダム容認は、民意をどのように見極めた末の判断なのか。県津論を表明する際は、知事自身がよりどころとした民意の捉え方について、住民が納得できるよう説明を尽くすべきだ。

7月豪雨では、球磨川で戦後最大と言われてきた1965年の洪水を上回る大規模氾濫が発生。流域の50人が死亡、2人が行方不明になった。県は国交省、流域12市町村と共に検証委員会を設置。国交省は、川辺川ダムが現行計画の貯水型で存在していれば「人吉市で浸水面積を6割減少できた」とした。これを受け、流域市町村でつくる建設推進協議会は、ダム建設を含む治水策を県に要望した。

知事も、ダムも治水の「選択肢の一つ」と表明。その上で、流域住民らを対象にした意見聴取会を各地で開き、自らも足を運んだ。住民からはダムの賛否だけでなく、堤防強化や川底掘削などダムによらない治水を求める声も多く挙がった。

ただ、知事は意見聴取を終える前から「民意は大きく動いていると感じている」と述べた。住民らが「ダム容認の材料を集めているのでは」といぶかしがる(不審に思う)のも無理はない。

知事は11日の河川工学者の意見聴取後、「生命財産を守り、球磨川の恵みを維持できる、受け入れ可能な方針を示すのが知事の責任」と述べた。命と環境の両立のため、ダムを容認しつつも、貯水型ではなく流水型を推す意向なのだろう。だが、流水型に川辺川ダムのような大規模ダムに先例はない。さらに丁寧な検討が不可欠なはずだ。

知事が判断を示された後は、国交省、県、市町村による球磨川流域治水協議会が本年度中に具体的な対策をまとめることになっている。ただ、協議会が本年度中に具体的な対策をまとめることになっている。ただ、協議会は住民参加を想定していない。知事が重視すると言い続けてきた民意を反映させるためにも、住民を交えて議論する場を置くべきだ。

▽12/27 流水型ダム賛否拮抗

熊日被災者調査

7月豪雨から半年になるのを受け、熊本日日新聞社は12月中旬、甚大な被害に見舞われた人吉市、八代市坂本町、球磨村と川辺川建設予定地の相良村の被災世帯、水没予定地の五木村の住民を対象に、球磨川の治水対策や復旧・復興に関する意識調査を実施した。川辺川ダムに代わる治水専用の流水型(穴あき)ダムの推進を表明した蒲島知事にの判断に対しては「支持する」「支持しない」がほぼ同数で、新たなダムへの賛否が真っ二つに分かれる形となった。

12/27 熊日朝刊1面から

熊本豪雨時系列まとめ(熊日記事)

県内初の大雨特別警報

▽7/4

  • 午前4時50分、気象庁が県南16市町村に大雨特別警報(2013年運用開始)を発表、県内初。1時間に天草市牛深98.0ミリ、球磨村83.5ミリ、24時間雨量も湯前町489.5ミリなど8地点で、いずれも観測史上最大の猛烈な雨を観測。
  • 球磨村流域で浸水や土砂崩れが多発。芦北町と津奈木町で各1名が死亡、球磨村で16人が心肺停止。球磨川の氾濫は戦後最大の被害が出た1965年7月以来の規模。
  • 八代や人吉など10市町村が約19万9千人に避難指示。芦北など4町は避難指示より強い警戒を求める災害発生情報を約3万9千人に発令。県は災害対策本部を設置し、自衛隊に災害派遣を要請。
  • 八代市、芦北など7市町村で断水。12市町村で8840戸停電。

▽7/5

  • 芦北、人吉など4市町村で22人の死亡が確認、心肺停止は3市町村18人、行方不明4市町村11人。
  • 浸水被害で14人が心肺停止となった球磨村の特別養護老人ホーム「千寿園」で残る入所者51人を救助。
  • 国交省は、球磨川流域の1060㌶で浸水と発表。
  • 人吉市最大の指定避難所、人吉スポーツパレスに約700人避難。3日夜の開設以来、検温や手指消毒などコロナ感染予防を徹底。
コロナ対策で間仕切りを設置:人吉スポーツパレス
県内死者50人超す

▽7/7

  • 県南で新たに3人の死亡を確認。山鹿市で2人死亡。県内の死者は計54人、心肺停止2人、行方不明10人。県内の自然災害で死者が50人規模となったのは2016年の熊本地震(直接死50人)以来。
  • 山鹿市などで1時間に約110ミリの雨。小国町の杖立温泉街が土砂崩れなどで一時孤立。
  • 球磨村は災害対策本部を多目的交流施設「さくらドーム」に移動。役場の電気や道路が寸断。

▽7/8

  • 新たに1人の死亡を確認。死者は計55人、心肺停止4人、行方不明9人。
  • 政府は九州などの豪雨について、激甚災害指定の見通し。
  • 国交省は、球磨川の堤防決壊が新たに1か所見つかったと発表。球磨川の氾濫箇所は13か所に。
  • 小国町や南小国町で土砂崩れ。山鹿市の国指定重要文化財の芝居小屋「八千代座」で奈落が約20cm浸水。
▽7/13付 安倍首相視察
  • 安倍晋三首相が球磨村と人吉市を訪問し黙とうをささげた。災害対策本部では蒲島知事らと意見交換をし、「早期復旧に全力を挙げる」と伝達。被災地支援に4000億超を投じると表明。
▽7/15付 県全域に「生活関連法」

 県は、全壊世帯などに最大300万円を支給する被災者生活再建支援法を県内全域に適用すると発表した。全壊と被災によりやむを得ず解体した半壊世帯に100万円、大規模半壊世帯には50万円が支払われる。さらに住宅の建設や購入、補修といった再建方法に応じて、50万~200万円の加算支援金が受け取れる。

▽7/18付 人吉商工業被害215億円

 人吉商工会議所は、浸水被害の出た約800事業者を調査。16日までに聞き取りした467事業者のうち、床上浸水は約9割の417事業者に上った。被害総額は215億円で今後さらに増えるとみられている。業種別にみると、宿泊が44億円、卸売・小売が36億円、飲食・サービスが32億円、製造23億円など。旅館やホテルでは被害額が1億円を超えるケースもある。

▽7/20付 土木被害1352億円

 県は20日、県南を中心とした豪雨災害による河川や道路など公共土木施設の被害額(速報値)が約1352億円に上ったと発表した。球磨村や小国町の山間部など調査に入れてない地域もあり、総額は今後膨らむ可能性がある。内訳は、道路施設が最多の431億円。河川施設は369億円、橋りょうが363億円で続いた。2016年の熊本地震では発生から1カ月後の土木被害額は約1900億円だった。蒲島知事は、「今回の豪雨は熊本地震に匹敵する。復旧には財源の確保が必要だ」との認識をしめした。

▽7/29付 人吉の旅館 国が補償費

 武田良太防災相は28日、衆参両院で開かれた災害対策特別委員会の閉会中審査で、県南を中心とした豪雨で被災した人吉市の旅館、ホテルについて、避難所に活用する事を前提に、国が応急修理費を負担する方針を明らかにした。

▽7/31付 熊本豪雨「非常災害」指定

 政府は31日の閣議で、7月豪雨を大規模災害復興法に基づく「非常災害」に指定した。2016年熊本地震、昨年の台風19号に続き3例目。市町村が管理する道路や河川などの復旧工事を都道府県が代行できるようになる。車が通行できない孤立集落が多発した球磨村の村道復旧を支援するため熊本県が指定を求めていた。

▽8/4付 くま川鉄道 復旧費97%支給→復旧決定

 熊本豪雨で鉄道橋が流出するなど甚大な被害が出た第三セクター・くま川鉄道(人吉市)について、復旧費の97.5%を国が実質負担する支援制度の活用に向けて県と沿線市町村が協議入りしたことが3日分かった。実現すれば事業者負担はゼロになるため、県は早期復旧につながるとみている。

8/28付け くま川鉄道事業復旧決定:27日本社を置く人吉市内で臨時取締役会を開き、鉄道事業の復旧を決めた。永江友二社長は「完全復旧には数年かかるが、学生や地域住民には欠かせない路線。一日も早く再開したい」と話した。

くま川鉄道:人吉市や球磨郡9町村、民間企業などが出資する第三セクター。JR九州の湯前線を引き継ぎ、1989年10月に開業した。人吉盆地を東西に走り、駅数は14。2019年度は、輸送人員が70万9669人、営業損益は8468万円の赤字だった。

8/4 熊日朝刊
▽9/19付け 「くま川鉄道、復旧は拙速」あさぎり町議会 

 7月の豪雨で甚大な被害を受けた第三セクター・くま川鉄道について、あさぎり町議会は18日、「鉄道での復旧決定は拙速」としてバス活用なども含めた慎重な検討を求める議員発議の決議案を全会一致で可決した。

くま川鉄道は球磨川に架かる鉄道橋が流失するなどし、全線で運休している。8月27日の臨時取締役会では、復旧費の97・5%を国が実質負担する支援制度の活用を前提に、鉄道事業存続を決めた。

決議は「事業計画や収支計画も検討されず、(先の取締役会で)結論が出されたことはあまりにも拙速」と指摘。産交バスの在り方やバス高速輸送システム(BRT)なども併せて検討する必要性を訴えている。

また、専門家や自治体の担当者、住民代表らでつくる委員会を設置し、復旧を人吉球磨の活性化につなげるプランを多角的に協議するよう求めている。

 提出者の溝口峰男議員は「治水対策もまだ決まらないのに鉄道存続の結論は早すぎる。今後の人口減も見据え、地域交通の在り方をじっくり議論するいい機会」と話した。

 一方、くま川鉄道の永江友二社長は「決議されたことは聞いたが、詳細については文書を見ていないのでコメントは控えたい」。鉄道復旧に向けて支援制度の活用を沿線市町村と協議している県交通政策課は「鉄道やバスを含めた交通手段ごとに、復旧費や定時性などの長所と短所を改めて地元に説明したい」としている。

▽8/18付「県南復興局」設置へ

 県は、7月豪雨の被災地再生を支援する庁内組織「県南復興局」を21日に設ける。全庁組織の復旧・復興本部も同日付けで立ち上げる。蒲島知事が17日、両組織について発表。新たな態勢を整えることで、被災者の生活再建や経済再生などを迅速に進める意向を示した。

▽8/20付 仮設住宅 最大2千戸

 県は、19日、7月の豪雨災害を受け、応急仮設住宅の必要数を7市町村で最大2千戸とする見通しを明らかにした。被災者の意向や住宅の被害状況を基に推計し、同日の県災害対策本部会議で示した。必要数の内訳は、建設型仮設住宅800~1000戸、借り上げ型みなし仮設住宅440~740戸、公営住宅など266戸。建設型の683戸は一部完成を含め着手済。

▽9/25 被災家屋 公費解体はじまる

 7月の豪雨で半壊以上の判定を受けた県内家屋の公費解体が24日、芦北町で始まった。公費解体は被災者の生活再建を促すほか二次災害を防ぐため、市町村が所有者に代わって災害廃棄物として解体、撤去する。

▽9/28 被災者の会設立へ

 7月の豪雨で被災した人吉市や球磨村など球磨川流域住民の有志と支援者が27日、「7・4球磨川流域豪雨被災者の会(仮称)」を設立する発表した。

 共同代表の一人、鳥飼香代子熊本大名誉教授は国と県、流域市町村長が進める球磨川豪雨検証委員会について「被災者の意見を聞かず、国主導で洪水防止対策を決めようとしている」と批判。被災者のニーズを把握して行政に届けるとともに、支援団体と被災者をつなぐ活動にも取り組む。

▽9/29 千寿園避難 国が検証

 7月の豪雨で球磨村の特別養護老人ホーム千寿園が浸水し、入所者14人が犠牲となった事態を受け、国土交通省と厚生労働省は10月にも、高齢者施設の避難のあり方を考える検討会を設置し、同園の被災時の対応などを検証することを決めた。高齢者施設の被害を防ぐための改善策を年度内に取りまとめる。

▽10/29 被害総額5564億円

 県は28日、7月豪雨の被害総額が概算で5564億円に達したと発表した。県庁であった復旧・復興本部会議で初めて報告した。災害査定が継続中の分野もあり、最終的に膨らむ可能性がある。

▽11/25  復旧・復興プラン発表

 県は24日、7月豪雨で甚大な被害を受けた県南地域の復旧・復興プランを発表した。住民の確保と環境保全を基本理念に、新たな流水型ダムの推進を軸とした「緑の流域治水」を掲げた。短期的に取り組む事業に宅地の高台移転促進を盛り込むほか、産業創出を将来ビジョンで示すなど持続可能な地域の実現を目標としている。

被災者の1日も早い復旧に向けた取り組み
(5年以内の完了・着手)
持続可能な地域の実現に向けた将来ビジョン
(10年以内の完了・着手)
すまい・コミュニティーの創造●宅地再生と高台の移転促進
●中層等災害公営住宅の整備
●県独自の住まい再建支援
●医療・福祉・行政機能などを集約した地域拠点整備
●ICTによる子どもや高齢者の見守り支援
●地域で受けられるオンライン診察
なりわい・産業の再生と創出●なりわい再建支援補助金等による事業再建
●八代港の物流拠点強化
●木質バイオマス・小水力・風水発電の導入推進
●崩落土などの活用による農地の大区画化
災害に強い社会インフラ整備と安心して学べる拠点づくり●国道219号など県南地域道路の全面通行止めの解消
●JR肥薩線、くま川鉄道の早期復旧
●国道219号と対岸道路のかさ上げ
●国内外の大学や高校とつながる授業の展開
地域の魅力の向上と誇りの回復●球磨川下り・ラフティングの再開
●青井阿蘇神社など被災した文化財の復旧
●球磨川を生かした新たなアクティビティの導入
●大学や企業などと連携した「クマラボ」による知の拠点化
7月豪雨からの復旧・復興プラン
▽1/4 緊急治水に400億超

県検討 河川掘削や堤防整備

 県が球磨川流域を中心とした緊急治水対策として、すでに着手済みの事業を含め総額400億円超を2021年度末までに投じる方向で検討していることが3日、わかった。特に今夏の梅雨時期までに100億円弱を集中投入する計画で。20年度補正予算や21年度当初予算の編成を進めている。

緊急治水事業規模一覧
▽1/27 河川掘削 今後10年で

 昨年7月の豪雨で氾濫した球磨川の治水対策に関し、国土交通省と県は26日、今後5年~10年程度で実施する「緊急治水対策プロジェクト」の概要を公表した。流域市町村から要望が多かった河川掘削で約300万㌧の掘削量を示したほか、支流・川辺川への新たな流水型ダムをメニューの柱に含めた。

 本年度中には、中長期的な対策を含めた「流域治水プロジェクト」もまとめるが、治水効果の高い主なメニューは出そろった。

 ただ、流水型ダムについては「調査・検討ができていない」(国交省)として、具体的な完成時期を示さなかった。規模についても、「機能を最大化する洪水調節計画の検討を行う」との表記にとどめた。

 ほかに、県営市房ダム(水上村)の再開発を盛り込み、放流口の増設や堤体のかさ上げなどの対策例を示したが、具体的な内容や完了時期は今後検討するとした。

 ダム以外のメニューでは、河川掘削や※引提、※遊水地、※輪中提・宅地かさ上げを挙げ、2020年度から10年間で取り組むと明記。河川掘削は八代市の坂本地区や球磨村の一勝地地区、人吉市など5地区で実施。引提は球磨村の渡地区で延長約600㍍で川幅を最大約50ⅿ広げる。

 輪中提・宅地かさ上げは芦北町や球磨村など球磨川流域の6地区で行う。遊水地は球磨村渡地区から水上村までの間で計画し、洪水調節容量として約600万㌧を見込む。

※輪中提=ある特定の区域を洪水の氾濫から守るために、その周囲を囲むようにつくられた堤防

※引提=川の流下能力を大きくするため、川の幅を拡大し既設の堤防を堤内地側に移動させること

※遊水地=洪水時の河川の流水を一時的に氾濫させる土地のことである。治水機能を表す場合は池を、土地そのものの場所や土地利用を表す場合は地を用いる

▽復旧・復興プラン2023年度末までの到達目標

 県は2日、昨年7月の豪雨で被災した県南地域の復旧・復興プランに盛り込んだ重点10項目の工程表を公表した。今年の梅雨期までに取り組む治水対策のほか、蒲島知事郁夫知事の4期目の任期を踏まえ2023年度末までの「到達目標」を列挙。同年度末で、仮設暮らしなどを強いられている被災者の住まい再建・確保にめどをつける方針だ。

熊日紙面「千寿園の悲劇」

第1回 迫る濁流 懸命に2階へ

狭い階段車椅子抱え

「ドーンッ」。7月4日午前7時、冷たい濁流が1階のドアを押し開け、渡り廊下のガラスを破って一気に建物内に流れ込んだ。

球磨村渡で、社会福祉法人「慈愛会」が運営する村唯一の特別養護老人ホーム千寿園。

80代、90代のお年寄りたちが穏やかに暮らしていたついのすみかで生死を分ける”悲劇”が始まった。

この5時間前、激しい雨が施設の屋根をたたきつけていた。

「寝たきりの人も多い。車いすに乗せて、すぐ避難できるようにしましょう」。夜勤の職員が園内の宿直室を訪ね、宿直のアルバイトをしていた元消防士の男性(61)に告げた。

男性によると、3日夜から降り続く雨は弱まる気配がなく、園内は断続的に停電。照明が点滅を繰り返す中、それぞれの居室で寝ていた入居者を起こして車いすに乗せ、南側の別棟の1階フロアに移動させた。

北西側には裏山があり、土砂崩れを警戒したからだ。

園内には入所者ら65人と男性のほか、夜勤の職員4人がいた。裏山の手前に「慈愛会」の理事長の自宅を改修した小規模多機能型居宅介護事業所があり、土砂災害を警戒して3日夕には、施設利用者5人と理事長も園に身を寄せていた。

午前4時ごろ、元消防士の男性は周辺を巡回。園東側の球磨川支流の「小川」が増水し、堤防を越えるまであと2㍍ほどに迫っていた。

巡回中、副施設長から電話が入ったため折り返すと、この時は「『様子を見ましょう』という返事だった。」

2時間後、副施設長の電話の声は緊迫していた。

『道路が冠水して園内に行きつかない』

同じころ、避難していた南側別棟前の駐車場が泥水に浸かりだしていた。

駆け付けた近所の住民と職員たちが協力して入所者らを北側の棟に戻し、その2階へ移動し始めた。ただ、2階はヘルパーステーションと家族宿泊室の2部屋で、わずか計130平方㍍。

エレベーターはなく、幅1.2㍍の22段の階段を上り下りするしかなかった。

寝たきりの入所者を乗せた車いすは重く、「3人がかりで抱えてやっとだった」と男性は振り返る。建物内にも少しづつ水が流れ込む中、2階に約50人を運び上げ、ほぼ人と車いすでいっぱいになった時だった、

ガラスが割れる音と同時に濁流が流れ込み、水位はみるみる腰付近まで上がった。男性は冷たい泥水に浸かりながら数人を運んだ。

だが、これ以上は流れが強く断念せざるを得なかった。1階には入所者ら17人と地域住民数人が取り残された。

第2回 みるみる浸水 間に合わず

駆け付けた地域住民

「ガラスが割れ、津波のような水が一気に押し寄せ、壁まで押し流された」。

「千寿園」に近い高台に住む球磨村議の小川俊治さん(72)は7月4日午前6時半ごろ、入所者らの救助のために園に駆け付けた。

小川さんは園周辺の地域住民でつくるボランティア「避難支援協力隊」のリーダー。午前1時半ごろ、強い雨音が心配になって地域を見回り、千寿園の裏山から水が流れ出しているのを確認した。

土砂崩れを懸念した小川さんは、夜勤の職員らと裏山と反対の南側の別棟へ入所者を避難させるよう進言。

「あの時は園が浸水するなど予想もしなかった。。」

いったん家に戻ったが、スマートフォンで雨雲の動きを確認すると、線状降水帯が球磨川流域を覆い続けた。村の防災行政無線も球磨村の水位上昇と避難を呼びかけ、「ほとんど眠れなかった」。午前5時半に家を出て、周辺住民に高台への避難を促し、6時半ごろ再び千寿園に。

施設内は入所者を2階に上げる垂直避難の真っただ中。小川さんも避難を手伝い、浸水が始まっていた1階で待っていた車いすの入所者が水にぬれないよう、北側の棟の食堂にテーブルで”島”を作り、その上に車いすごと担ぎ上げた。

認知症などを患う入所者が冷たい水にぬれることで、パニックになるのを防ぐためだった。

その作業中に水が一気に押し寄せ、小川さんらに襲い掛かった。「胸、首とみるみる水が上がり、すぐに足がつかなくなった」。近くに浮かんでいた入所者の女性を片手で担ぎ、もう片方の手で浮かんでいたソファなどをつかんだ。

天井近くまで浸水した1階に、2階から飛び込んで入所者を助けようとした近所の消防団の男性に、「あなたまで死んでしまう」と周囲が必死で止める場面もあった。

小川さんは「どれくらい浮かんでいたかは分からない。2~3時間だろうか。冷たい水の中で時間がたつのをとても長く感じた」。

「助けが来る。頑張ろう」。浮いて救助を待つ数人が互いに声を掛け合った。

水を吸ったソファがだんだん沈み始める。「死ぬかもしれない…」。半ばあきらめかけたその時、

2階から屋上に出た職員や宿直アルバイトの元消防士の男性(61)が電気コードやカーテンを結んで作ってくれたロープを投げ入れてくれた。

それにつかまり屋上にはい上がったが、すでに数人の背中が浮いていた。

千寿園と村の記録によると、高齢者70人のうち、14人が自衛隊到着後に心肺停止で発見され、1人が低体温症のためヘリで病院に搬送された。

残る55人は村総合運動公園に避難。職員や小川さんら駆け付けた地域住民を含め全員が救出されたのは午後10時すぎ。周囲は真っ暗になっていた。

小川さんは、亡くなった入所者の冥福を祈りつつ振り返る。「救助に入った人が亡くならなかったのは奇跡だった」

第3回 残された命「復興に尽くす」

母亡くした村職員

9月26日、球磨村特別養護老人ホーム「千寿園」の前に、防災服に身を包んだ小此木八郎防災担当相と蒲島郁夫知事の姿があった。

献花と黙とうの後、球磨村住民福祉課長の大岩正明さん(51)がマイクを手に、時折声を詰まらせながら、被災当時の状況を説明した。

千寿園を濁流が襲った7月4日朝、大岩さんも入所者の救助に当たった一人だった。大岩さんの母ユウコさん(83)も千寿園で暮らしていたが、帰らぬ人となった。

「今でも当時を冷静に振り返れない。思い出そうとすると冷たい水の感覚がよみがえる」

大岩さんは4日午前4時ごろ、家族4人を高台に避難させた後、近所の住民から「千寿園の入所者を避難させる人手が足りない」と聞いて駆け付けた。

北側の棟で入所者の2階への垂直避難を手伝っている時、1階の食堂で車いすに座っているユウコさんが見えた。足元に浸水が始まっていた。

ユウコさんらを水にぬらさないようにテーブルで作った”島”の上に抱え上げた。その場を離れて間もなく濁流が流れ込んだ。

浸水のスピードは早く、すぐに足がつかなくなった。大岩さんは近くにいた入所者の女性を片手で担ぎ、浮かんでいたたんすにつかまって救助を待った。

園内の浸水は高さ3㍍を超え、母の姿は見えなくなった。

自分の死も覚悟しながら「無事でいて」と母を案じた。屋上から差し伸べられたはじごで難を逃れ、水が引くのを待った。

水が引いた後、大量の土砂に覆われた1階に下りると、ユウコさんがぬれたソファの上に寝かされていた。「眠っているようだった」と大岩さん。

ユウコさんを含め、1階に取り残されて心肺停止となった高齢者14人は車いすに乗せられ、搬送を待った。

「きつかったね」「ごめんなさい」。大岩さんは、千寿園の若い男性職員がペットボトルの水をきれいなタオルに含ませ、ユウコさんの顔の泥を洗い流してくれる姿を眺めていた。

「『ごめんなさい』という声が聞こえて涙が止まらなかった。家族のように接してくれた園の職員には感謝している」

大岩さんは3人兄弟の次男。県外の専門学校を卒業した後、東京の老人ホームで働いていた。28年前、ユウコさんから村役場をすすめられ、Uターンして古里に戻った。

ユウコさんは、千寿園がある渡地区と同様、甚大な被害が出た神瀬(こうのせ)地区で商店を営んでいた。生前、「田舎暮らしはみんなの助け合いがあってこそ」といつも口にしていたという。

大岩さんは7月9日にユウコさんの火葬だけを済ませると、葬儀は後回しにして翌10日から村民の生活再建に奔走した。葬儀を終えたのは、お盆の8月15日だった。

「母が残してくれた命。村の復興復旧のために自分ができることを精いっぱいやりたい」。大岩さんは葬儀でそう誓った。

第4回 千年に一度の雨「想定せず」

備え 土砂災害を警戒

「千寿園の幹部らは、北西側にある(裏山)斜面の土砂崩れを警戒して、あれほどの高さの浸水は想定していなかったはずだ」

7月4日被災当時、千寿園で3日夜から宿直のアルバイトをしていた元消防士の男性(61)はこう証言する。

水防法は2015年と2017年の改正で「1000年に一度」の豪雨で浸水の危険性がある区域の高齢者施設などに、最大浸水を想定した避難計画の策定を義務付けた。

国土交通省は17年、1000年に一度に相当する豪雨を人吉市より上流で12時間総雨量502㍉と設定。その場合千寿園周辺は「10㍍以上20㍍未満」浸水すると想定された。村も想定を認識し、ハザードマップに反映させようとしていた矢先に悲劇は起きた。

千寿園が18年4月に作成し、村に提出した避難計画は「土砂災害に関する避難計画の確保」のみ。この計画の中には一部、河川の氾濫を想定した文言もある。ただ、千寿園の代理人、中獄修平弁護士(39)は「水防法が定める最大浸水を想定していたとはいえない」と認める。

一方、中獄弁護士は「10~20㍍の浸水は、村全体が浸水するような想定。それに即した避難計画の策定と訓練は現実的には厳しい」と園側の立場を代弁。村から策定に関する指示は「なかった」とした。

避難計画は、屋内の避難場所に施設2階部分を指定。屋外の第一避難場所には施設南側の駐車場、第2はほぼ隣接する渡小運動場および体育館、第3は村内でも高台にあり、直線で約1.5㌔離れた村総合運動公園内の多目的交流施設「さくらドーム」としていた。この3つの屋外避難場所のうち、浸水を免れたのはさくらドームだけだった。

村は河川の氾濫などを見越し、従来の発令基準に満たない段階の7月3日午後5時に避難準備・高齢者等避難開始を発令した。午後10時20分には避難勧告、4日午前3時半に避難指示。気象庁が「ただちに命を守る行動が必要」とする大雨特別警報に発表は同日午前4時50分だった。

3日午後7時以降に園内にいた職員は当直と夜勤の職員合わせて5人。当直をしていた元消防士の男性は「認知症や寝たきりの入所者をあの激しい雨が降る夜間に車いすに乗せて、さくらドームまで避難させるのは危険だった。車両を使うにしても、マンパワーはとても足りなかった」と証言する。

近所に住む球磨村議の小川俊治さん(72)は4日午前6時半ごろ、千寿園に駆け付け、泥水に溺れそうになりながら入所者の救助に当たった。千寿園が年2回開く避難訓練にもボランティアとして参加していた。

「職員も、私たち地域の住民も訓練通り、必死に2階に垂直避難を試みた。どうすれば14人の命を救えたのか…。私にはいまだにわからない」

第5回 避難計画 浸水で機能せず

孤立 職員集合できず

「千寿園」の避難計画は、避難準備・高齢者避難等避難開始が発令されたとき、「避難等を開始する」と明記している。夜間や休日の警報発表で園に駆け付ける職員12人も指定。さらに、避難勧告・指示が出た場合は「施設全体の避難誘導」にレベルを上げて、対応職員を約90人の全職員と定めていた。

ただ、実際には、そうならなかった。豪雨に見舞われた7月3日夜から4日朝まで、後藤亜紀施設長を頂点とする職員の連絡網は機能しなかった。避難勧告を発令した3日午後10時20分以降も、職員が計画通り千寿園に集まることはできなかった。避難を指示すべき後藤施設長、後藤竜一副施設長らもたどり着かなかった。

村は、千寿園の浸水を最大床上約3.1㍍に達したと推定している。当時、当直のアルバイトをしていた元消防士の男性(61)は、入所者を2階に垂直避難させた一人。「早い段階で職員を集められていれば、入所者全員の避難が間に合ったかもしれない」と悔やむ。

千寿園の入所者らをボートで救出した近くのラフティング運営事業者「ランドアース」の職員は、4日早朝の千寿園の浸水状況について「6時ごろには球磨川の水があふれ、国道219号が冠水して車では通れなくなっていた」と話す。

その後支流の小川から球磨川に流れ込めなくなった水が、園南側の国道219号やJR肥薩線の線路上を球磨川本流と逆方向に流れる様子も目撃した。

専門家は、球磨川の水位上昇で「バックウォーター現象」が発生した可能性を指摘。千寿園は周辺から孤立した状態になっていたとみられる。

入所していた母、日當タツエさんを亡くした兵庫県に住む次女の境目美奈子さん(54)は9月26日、施設長らの訪問と謝罪を受けた。診察券や預かり金の残りなどは受け取ったが、母が愛用した防止や衣類は返ってこなかった。

境目さんによると、園側は被災状況を説明する中で「計画に沿って避難した」と話した。

「水害への危機感はなかったのか。他の職員を呼ぶことができたのでは」と尋ねると、「感じるものはあった。ただ、職員みんなが被災し、施設に来てもらうことができなかった。施設内が1番安全な場所だった」と説明したという。

境目さんは「千寿園の職員に非常によくしてもらった」と感謝する一方、園側の対応に「当時を検証しようとする姿勢が感じられなった」と残念がる。

2016年8月の台風10号の豪雨による浸水では岩手県岩泉町の高齢者施設「楽ん楽ん」の入所者9人が死亡。

境目さんは、ほかにも高齢者が犠牲になった災害に触れ、「千寿園でも14人が亡くなった。この事実を、高齢者が早め早めの避難をするための教訓にしてほしい」と願う。

「検証が不十分なままでは、諦めがつかない」と言葉に力を込めた。

第6回 地域、行政の支援強化を

施設で解決困難

10月7日、東京・霞が関の国土交通省1階会議室。高齢者福祉や防災、建築などを専門とする学識者が集った。

同省と厚生労働省が球磨村特別養護老人ホーム「千寿園」で14人が亡くなった事態を受けて設置した「高齢者福祉施設の避難確保に関する検討会」。高齢者施設の避難改善策を2020年度内に取りまとめることを目標にする。

座長に選任された跡見学園女子大の鍵谷一教授(福祉防災)は、冒頭の挨拶で「認知症の人たちは移動そのものがリスク。知らない場所では不安定になったり徘徊したりする。避難そのもの困難さを理解しなければ(議論は)実効性のないものになる」と強調した。

両省は、千寿園の避難計画や対応などを調査。把握した情報をA4版68ページの資料にまとめて委員に示した。その中で主な問題点として、避難計画が水防法の定める最大規模の浸水を想定していなかったことや、屋外避難先の設定が非現実的で屋外避難の訓練も実施していなかったことを挙げた。2階への垂直避難に時間を要したことも指摘した。

委員会からは「被災当時の入所者らは70人おり、2階への垂直避難には限界があった」「予想よりもはるかに多い雨が降り、職員に判断は難しかった」などの意見が出た。

委員会の一人、兵庫県立大大学院減災復興政策研究科の阪本真由美教授は、避難行動の分析に取り組んできた。

18年の西日本豪雨では、死者51人が出て、その約8割が70歳以上の高齢者だった岡山県倉敷市の真備地区などで住民にアンケートをした。

阪本教授は千寿園の事例を「結果論だが、(浸水の前日)7月3日午後10時20分に発令された避難勧告の段階で行政や消防に避難の判断などを相談し、園側が職員を集める判断ができていれば被害は防げた可能性がある」と指摘する。

台風や豪雨で高齢者施設が被災し、入居者らが犠牲になるれ例は千寿園のほかにもある。09年の豪雨では「ライフケア高砂」の7人が土石流で犠牲になった。16年の台風10号による河川の氾濫では、岩手県岩泉町のグループホーム「楽ん楽ん」で9人が亡くなった。

阪本教授は高齢者施設の避難の実効性を高めるために「職員だけで避難の判断や実際に避難を完結することは不可能だ。地域や行政が助ける仕組みの強化が求められている」と強調する。

山間部には安全な平地が少なく、千寿園のように災害の危険性が排除できない場所に高齢者施設が立地しているケースは多い。

阪本教授は「十分な垂直避難場所を確保するための施設の改修などをさらに国が後押しする必要がある。実効性のある避難計画づくりを施設だけに任せず、行政がサポートしていくことも重要だ」と力を込めた。

第7回 村の福祉拠点 機能停止

「千寿園の20周年祝いで出たアユがおいしかったんです」。球磨村特別養護老人ホーム「千寿園」でデイサービスを利用していた野々原キミエさん(89)は、豪雨被災直前の6月の昼食時に出た「ごちそう」を今も思い出だす。

千寿園の開設は2000年6月。それまで老人ホームがなかった球磨村にとって待望の施設だった。村が建設地を購入・造成し、社会福祉法人「慈愛会」に無償貸与。

同年4月には介護保険制度がスタートし、ホームヘルパー(居住介護支援)やショートステイ(短期入所)もある千寿園は、在宅から入所まで一貫して介護サービスを提供できる村唯一の役割を果たしてきた。

野々原さんも同居の息子夫婦が不在の際、「ショートステイが使えたので助かった」。デイサービスは7年近く通い、不自由だった足は機能訓練のかいもあって「部屋ではつえがつかなくても歩けるようになった」。千寿園は、生活にメリハリを与えてくれる場所だったという。

しかし、豪雨で神瀬地区の福祉センター「たかおと」も機能が停止するなど、村の高齢者を取り巻く環境は一変。千寿園の被災で入所施設は皆無となり、ホームヘルプやデイサービスも、提供元は一勝地地区の高齢者生活福祉センター「せせらぎ」だけになってしまった。

せせらぎのデイサービス利用者は現在47人。うち17人は元々、千寿園とたかおとの利用者で野々原さんもその一人。ただ落橋などが相次いだ道路は十分に復旧しておらず、ホームヘルプも含めて送迎や移動に制約を受けている。

せせらぎを運営する村社会福祉協議会は、災害ボランティアセンターの対応も継続中。10月下旬からは「地域支え合いセンター」も運営し、被災者の見守り活動も担わなければならない。「今後もさまざまな要望が出てくる」と村社協の板崎雄治事務局長(61)。マンパワーの確保や態勢強化は大きな課題だ。村の高齢化率は9月末時点で45.0%。県平均の31.1%を大きく上回っている。

全国の自治体は20年度、3年ごとに更新する介護保険事業計画(21~23年度分)を策定中で、村も実態に見合った新計画を立案しなければならなかった。しかし「人口の流出もあり、要介護認定者の把握も難しく、介護事業の担い手も定まらない」と村住民福祉課は頭を抱える。特に入所サービスは被災後、村外施設にショートステイで対応してもらうなど綱渡りが続いているのが現状だ。

千寿園を運営してきた慈愛会は、現地での事業再開を断念。松谷浩一村長は「千寿園がなくなり、高齢者福祉の政策を見通せる状況にない。社協だけで高齢者を支えるのは不可能」と言い切る。

村が代替地を用意することも念頭に「村の福祉の実情をよくわかっている慈愛会とよく話し合いたい」と松谷村長。高齢者が5割に迫る人口3400人の山村は厳しい現実に直面している。